コラム

寝たいだけ寝るのは、だらしないのだろうか

誰の目も気にしないで、自然に目が覚めるまで、気が済むまでゆっくりと寝たことがあるだろうか。

友人との会話の途中、ふとそんな思いが浮かんできた。
私は冬が苦手だと話していた時だ。

 

寒さに弱くて、冬場は起きるのがとても辛い。夏なら6時にはスッキリ起きれるのに、冬の朝は暗くて寒くて全く起きる気になれず、二度寝三度寝をする。

午前中にやろうと思っていたことがまったく追いつかない。

 

以前は、起きれなかった自分にとても腹を立てていた。
今は腹を立てるほどではないが、時間をもったいないことをしたと、やはり少々悔やむ。

そんな話をしていたら、ふと先ほどの問いが浮かんだのだ。私は寝たいだけ寝ることに罪悪感があるのだと気がついた。

 

小さい頃から私は朝が弱かった。
早く起きなさい、だらしがないと、朝寝坊をいつも叱られていた。

朝すんなりと起きれないこと以外にも、私はよく叱られていたので、家の中では気をゆるめることができなかった。

横になったらすぐにだらしないと言われるから、ちょっと横になることもできなかった。

 

だからだろうか、子供が生まれ、夜中に何度も起きて授乳をしていた時期も、いくら昼間に眠くなっても昼寝をすることができなかった。

朝ゆっくり寝たり昼間に寝ることに、私は後ろめたさを感じるようになっていたのかもしれない。

 

寝てはいけない、だらしない私じゃいけないと、自分を縛りつけていたのだろうか。
友人と話していて、そう気づかされた。

 

その夜は目覚ましをかけず、自分に言い聞かせて寝てみた。

寝たいだけ寝ていいんだよ。
誰にも叱られないし、責められないから。
気が済むまでゆっくり休みなさい。
体をたっぷり休めなさい。

 

翌朝目が覚めたら8時間も寝ていた。時間を気にせず寝てもいいと許したら、翌日も翌々日もやはり、8時間も9時間も寝ていた。

 

これまでは、寝たいだけ寝てしまうと、だらしないと叱られたダメな自分が意識のどこかで甦っていたようだ。だから私は、睡眠時間は長くはいらないと決めてしまったのかもしれない。

睡眠の欲求に負けて、起きれないダメな私になるのが怖かったのだ。

 

だらしないと言われようが、本当は朝はゆっくり寝ていたい。
自分の本音を認めたら、長年の呪縛から解けたように、それから数日間私はぐっすりと長い時間寝た。

不思議なことに、何時間寝ても罪悪感がわかなかった。

 

考えてみたら、かつて私は家族に対しても、朝なかなか起きないことに腹を立てていた。

家族がダラダラと寝ていたのは、本当はそうしたいのに、無理に抑えてる自分に気づかせるためだったのかもしれない。

 

知人との会話から、思ってもみなかった寝ることへの罪悪感に気づいた。

自分を否定をしていた思い込みに気づくと、自分の本音に近づいていく。
本当はどうしたいのかがわかって、生きるのが楽になってくる。

でも、自分の本音に気づくのはひとりでは難しい。そう感じる方のために、セッションをしています。

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