ストーリー

しっかり者を演じ続けていた私:ストーリー2

しっかり者を演じ続けていた私

今回は
『お姉ちゃんだから我慢しなさい』
『しっかりしなさい』

呪文のように言われ続けたその言葉が、

『しっかり者でいなければ
私は認めてもらえない。』

そんな思い込みを
潜在意識に作り上げてしまうというお話し。

自己否定のかたまりだった私が、
<本当の自分を取り戻すまで その2>です。

お姉ちゃんだから我慢しなさい、しっかりしなさいという言葉の虐待

小さい頃の楽しい思い出がほとんどない・・・・
というか、記憶にないというか思い出せなくて、

残っているのは、

いつも注意され、叱られ、怒鳴られ、
追いかけられた記憶だけ。

『お姉ちゃんだから我慢しなさい』
『しっかりしなさい』と言われ続け、

可愛がられ甘えていられる妹を羨むことさえ、
いけないことのように感じていました。

だから、お母さんに甘えていられる人が
すごく羨ましかったし、

今でも素直に母親に甘えている人を見ると
いいなぁと思います。

私はしっかりしてるのが当たり前。

でも子どもですから、時には
うっかり甘えたことを言ってしまうこともあります。

すると、鼻先で笑われて、
あー、やはり私は甘えてはいけないんだと諦めます。

母はいつも気持ちがピリピリしていて、
ヒステリー気味でした。

下手に触るととばっちりを食います。
だから気に障らないように気をつけてはいますが、

どうも私のすることは
何かと気に入らないらしく、

結局何をしても、
ダメな私を再認識させられてガッカリするだけ。

母と娘じゃなくて、
まるで教訓好きの先生と、出来の悪い生徒みたいでした。

まれに、母が私をわかってくれたと思える時があって、
つい素直な気持ちを口にすると、

すぐに手のひらを返されて、「しまった」と思います。

母を信用するんじゃなかった、

母に本心を言うんじゃなかった、

母が気持ちをわかってくれるなんて
やっぱりないよね、

母に甘えた気分にならなきゃよかった・・・・

と、期待した自分を責めます。

甘え方を知らずに育って、
甘えちゃいけないんだと思いこんで生きてきて、

私はどこにも
甘えることころがなくなりました。

信じられる人に甘えたいと切実に思っていると、
甘えられない現実は余計つらく感じられます。

だからその思いには蓋をして、
私は「大丈夫人間」になっていきました。

辛いことがあっても、悲しいことがあっても、
私はひとりで耐えられる、大丈夫。

長いことそう演じて過ごしてきました。

『甘えたかったのに、
それがゆるされなかった自分』

わかってはいても、
それを自覚するのは辛いことです。

でも、恨みつらみを口にしていても
何も変わらないんですよね。だから、

気がついたときにまずやってみてほしいのは

『甘えられずに辛かった時の自分、
そしてその時の感情』

を思いだして、
しっかり感じて味わいつくすことです。

大人になったあなたは、

辛かった幼い自分を客観的に
見ることができるようになっているはずだから。

感情は味わいつくされなかったとき、
心のどこかにひっそりと、

でもしっかりと隠れ場所を見つけて居座ります。

そして潜在意識は
その感情の存在を思い出してもらうために、

あなたを困らせたり悩ませたりする出来事
という形でサインを発します。

甘えを抑えつけなきゃいけない状況を
せっせと作りだして、

『私は甘えたかったのに
できなくて辛かったんだった』

『甘えちゃいけないって
ずっと思い込んで生きてきた』

ということに気づいてもらおうとします。

どこかで気づけたらしめたものです。
でもチラッと気がつきかけても、

たいていは慣れ親しんだ
「私は大丈夫」なモードに入ってしまって、

引き続き
本当の自分を押しやったままで生きていきます。

そうやって生きてきた私も、
こんな自分を終わりにできるかもと思える情報を知り、

できるのならばもう終わりにしたい!と
強烈に感じたとき、やっと

「あー、私は甘えられなくて
本当に辛くて寂しかったなぁ」と思いだし、

幼かった時の自分を抱きしめて慰めて、
涙が出てきたら気がすむまで泣いて、

寂しいという感情をとことん味わってみました。

すると、

必要な時は人に甘えて力を借りてもいいし、
自分ひとりで頑張らなくてもいい、

そのことに気づくために、
甘えさせてくれない親の存在があったのだ

ということがわかってきたんです。

*******
隠れていた感情に気づいたら、
まずは感じて感じて感じつくすこと。

するとその感情は私から離れていき、同時に

自分を大切にすることの意味が
理解できるようになってきました。

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