今自分がしていることは、「したいこと」だろうか?「しなければならないこと」だろうか?と考えてみると、
「しなければいけない」からやっていることが、結構あるのではないだろうか。
「しなければいけない」「ねばならない」という意識は、知らぬ間に染みついてしまうので、自分の本音がおしやられていることには、なかなか気づきにくい。
毎日決まったようにやっていることは特にそうだ。
朝ごはんは必ず食べるもので、ほぼ決まった時間に食べることが当たり前だと思っていたり、掃除は毎日するものだと思っていたりする。
だけど、ホントに今食べたいか?お腹がすいているのか?と自分に問いかけてみると、そうでもない日だってあるのに気がつく。
お腹がすいていない日は朝ごはんを食べないでいると、その方が調子がよいこともある。
部屋の掃除は、毎日した方が気持ちはいい。
だけど、本当にしたいかと自分に聞いてみると、面倒くさいとか体がきつい、今日はしたくない、別に毎日しなくてもいいのにと思っている自分に気づいたりする。
人は、そういうものだとしつけられたり、周りがやっているから当然だと思い込んで、習慣になってしまうと、それを疑うことをしなくなる。
きついな、今日はイヤだな、したくないなと心のどこかで思いながらも、何となくやってしまう。
日常の些細なことから、人との付き合いや仕事のうえでもその癖は出てしまって、いつのまにか自分を縛りつけていることがある。
夫だから、妻だから、母親だから、子どもだから、この役職だから、、、、、、
と自分の立場や役割上、そうしなければいけないと思い込んでいることは、意外に多いのではないだろうか。
こうするべき、
まわりがそうしているから当然、
いつもやっているからそういうもの、
と、深く考えることなくやっていることを、きついな、イヤだな、面倒くさいなと感じたときは、
「自分はそれをしたいだろうか?本当にしなければいけないことだろうか?」と自分に問いかけてみるといいと思う。
私もかつては、しなければいけないと思い込んでいたことが多かった。
だけどそれを疑ってみるとか、自分に問いかけてみるということなど思いもよらなかった。
例えばご飯を作ること。
私は料理することは苦にならないし、食べることも好きで自分も食べたい。
だから、毎日ちゃんとご飯を作っていることに、何も抵抗はないつもりだった。
時々「今日は面倒くさいな」と思うことはあっても、
「イヤイヤ、母親だもん。やっぱり作らないと」と自分に言い聞かせたり、
手抜きはいけないという意識もどこかで働いていたと思う。
「母親だから」「子供を持つ者の責任だ」っていっても、一日くらい手を抜いても何も問題はないはず。
そう考えるとバカみたいだけど、当時は「手を抜く私」はありえなかったようだ。
嫌々やっているとイライラして子どもに当たったり、自分だけが大変な思いをしてるって腹が立ったりする。
義務感でやっていることは、何もいいことを生まない。
やっとある時、義務感でがんじがらめになっていたことに気づき、そこから抜け出したくなった。
「今日はもう料理作るのやーめた!」と、初めて言ってみた。
なんと気分がスッキリしたことか。
「ねばならない」でやっているかどうかを知るには、まずは自分に問いかけてみるといい。
「これってホントにしたい?」
「しなければいけないって思い込んでいない?」って。
必ずしも自分じゃなくてもいいはずと思えたり、
「イヤだ」「やりたくない」と言っても問題ないとわかったり、
いかに自分が無理してやっているかに気づいたりするのではないだろうか。
こういうものだと教えられたり、無意識に取り入れてきた常識や習慣を、時々見直してみるのだ。
自分が思っている「当たり前」は本当に当たり前だろうか?
したくてやっているだろうか?
しなければいけないと思い込んでいないだろうか?
したい?したくない?
そんなふうに自分に問いかけて、「やーめた」って言えそうなことは、思い切って一度やめてみる。
自分の本音に気づくのは、簡単ではないかもしれないけど、自分に問いかけることが、少しだけこれまでと違う行動をとるきっかけにもなる。
やりたいことで自分の時間を満たしていくには、小さな積み重ねが大事だと思う。
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