ストーリー

無意識のうちに『被害者』を演じ続けていた私:ストーリー4 

今回は、「母のせいで」という思いが、
知らず知らずのうちに

自分のセルフイメージすら創っていて、
自らを追い込んでしまうというお話し。

自己否定のかたまりだった私が、
<本当の自分を取り戻すまで その4>です。

 

どこまでいっても歯車がかみ合わなかった母と私

小さい頃から、私がやることはなぜか
ことごとく母の気にいらないと感じていて、

自分の言動が母に
批判・非難されているのではないかと、

常にビクビクしていたのが、
今になってわかります。

でもその頃は、
ビクビクしているという意識はありませんでした。

 

自分の好きにやっているつもりだったのに、
何かを決める時にいつも

心の底に
そのビクビク感があったことに気がついたのは、

ずっと後になってからです。

 

母と娘なのになぜ、
こうにも価値観が違うのだろうと、

情けない思いや、
わかってもらえない悲しさや悔しさやあがきを

いつも感じていました。

ホントはただ抱きしめてほしかったのに、
そんなことを思うことすら自分に許せなかったのですね。

わかってほしい

私は私の考えで・・・・と、
反発して行動を取ろうとするのですが、

そうなると巧妙に憐れみを乞う母。

これは母の演技だとわかっているのに
振りきることができません。

 

心のどこかで、
もう親とは思わないと決めながら、

肝心な時には、
親に背中を向けることへの罪悪感を感じて躊躇し、

振り回されては望みを断念し、
そのたびに今度は、

諦めた自分への責めや後悔が増えていきました。

 

加害者と被害者という立場でとらえたときに初めて見えてきたもの

何かにつけ
「母のせいで・・・・・」と思っていたので、

そこには被害者である自分がいます。

私が被害者、母は加害者です。

 

被害者として自分を見ているかぎり、
そこには常に加害者が必要になります。

だからいつまでたっても、
母が加害者、私が被害者という

お互いの立ち位置も変わらずにいたのですが、

そういう見方ができることすら、
私は知らずにいました。

理解されない悲しみ

 

どれだけ時間がたってしまっても、

やりたかったのに
母のせいで諦めてしまったことを

思い出させるような
言葉や状況に出会った時には、

それが今の自分には何の関係もないことなのに、
妙に心がザワついてイラっとしたりします。

 

ザワつく心の奥には、

「あの時母が邪魔しなければ、私だって」
という思いがありました。

そのたびに被害者の自分を意識し直すわけです。

 

今の私には関係ない話なのに、
なぜこんなに心がザワつくんだろう?

とずっと疑問でしたが、それは

 

ザワつきをたどっていって、
その奥にある取り残された感情に気がつきなさい

という、魂からのメッセージだったんです。

 

それに気づけないでいたから、

被害者の意識がどんどん強固に
積み重なっていったのですね。

 

フタをしていた感情が、
気づいて癒してほしいと伝えていただなんて、

ちっとも知らないままで
ずいぶん長い年月を過ごしてしまいました。

*******

自分の立ち位置を
冷静に見るのは難しいものですが、

私の体験を
自分に置き換えてみることは出来ます。

あなたは
無意識のうちに被害者を演じることで、
加害者を創りだしてはいませんか?

それによって自分を苦しめ続けてはいませんか?

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